あるカセットテープ

事務所の押し入れから、あるカセットテープを取り出してラジカセで聴いてしまった。
6月ぐらいから俄かにラジオの仕事が増え始め、ひと時の休みを求めたのかどうかは分からない。
クーラーの付いた事務所。7月の夕暮れ。冷蔵庫から麦茶を出してコップに注ぐ。
仕事の手を休めて、カセットテープの状態を1本1本確認する。
不思議なほどに劣化してない。まったく色褪せてない。13年前のものなのに。
CDラジカセは13年前のカセットテープを律儀に再生してくれた。

広末涼子のがんばらナイト』
16歳だった広末涼子が喋っているラジオ番組だ。
コレをなぜか4年に一回ぐらい聴き返したくなる。
今日がたぶんその日だった。
いわばオリンピックだ。
開催地・世田谷区下北沢。
「もうすべてが奇跡や」としか言えない広末涼子の可愛らしさが炸裂している。
炸裂しまくっていた。
頭がパニックになりそうだ。
本当に凄いから。
今、ラジカセから聞こえるのが生放送のような気さえしてくる。
これこそが僕のラジオの原点。
広末涼子のがんばらナイト。
色んなことはここから始まったような気がする。
そして、元々このカセットテープは僕のものではなかった。
カセットテープに書かれたオレンジ色の文字も僕が書いた文字じゃない。
これを僕にくれたのは他でもないフルタ丸のチラシを旗揚げ公演から創ってくれている山下隼太郎。通称、隼ちゃん。高校3年の卒業間近、彼は数本のカセットテープを紙袋に入れて学校に持って来た。正直、それまで隼ちゃんとはあんまり話したこともない。だから、経緯は思い出せない。けど、とにかく隼ちゃんがこのカセットテープを僕にくれた。
「ジュン君に託す」的なことを言われた。
当時、僕も単純だったから「託された」と完全に思った。
なんだそれは。
いや、でも本当にそう思った。これは重大だと。
気づけば隼ちゃんとの関係は今日まで続いている。
このがんばらナイトのバトンを受け取ってから、こんなにも長いワインディングロードが続くとは想像できなかった。


少し前、テレビで芸人のケンドーコバヤシが「綾瀬はるかのおっぱいを見ることができたら、俺、2年間不幸でもいい」と言っていた。そのマインドが痛いほどよく分った。
いつか広末涼子のラジオ番組の仕事ができたら、僕の中のラジオは上がりを迎えてしまうかもしれない。それ以上何を望めばいいのか。ひとつの夢である。


がんばらナイトのウィキペディアには、番組をこんな1文で説明している。
「内容は、広末がドラマの出演情報、CDイベント情報、写真集情報などを紹介するコーナーであった。深夜にも関わらず、ラジオで聞いた人には絶好調な番組であった」
絶好調な番組。
まったく、なんてスバラシイんだ。
カセットテープを止める。
休憩もおしまい。


さあ、がんばらないと。<文・フルタジュン>


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