潜むモノ

私は、いや、日本中のそれを見た人はきっと、今日のことを忘れないだろう。


「甲子園には魔物が住む」。

夏の全国高等学校野球選手権大会。いわゆる、甲子園。
この大会では、長年にわたりドラマチックな展開や信じられないような活躍が起こる。
それを形容した言葉がこれである。

が、まさか。

魔物が本当に姿を現したことに驚かなかった者など、いようはずもないだろう。


その魔物は、準決勝第二試合、8回裏に出現した。
最初に見つけたのは、マウンド上のピッチャーであったと言われている。
ツーアウト2,3塁、フルカウント。ここで1打が出れば逆転というピンチである。

最初に誰が発見したかは定かでないが、気付いたときには、魔物は審判から3メートルほど後ろの位置に立っていた。
体は緑色、頭からは角が2本生えており、顔にはサングラスのようなものをしていた。
四肢を持ち、二本足で立っている。体長は1メートル強ほどだろうか。先っぽが矢印のように尖っている尻尾が生えていた。
魔物は地面から這い上がると、すぐにその場に寝そべった。


それから数分の後、審判は背後に出現した魔物の存在に気づいた。

審判は、じっと魔物を見た。

その視線に気付いた魔物も、審判を見返す。

数秒の間、視線が交わり合う。


そして、それだけだった。
審判は魔物の存在に驚きも恐れもせず、ピッチャーの方へ向き直った。
(さらに言うならば、それは試合を見ている者全てが同様であった)
魔物も、審判や他の人間を気にすることも無いような様子で、ピッチャーの方へ視線を向けた。


そう、そこはいつもの甲子園なのだ。
興奮、期待、不安。
様々な感情が入り乱れ、渦を巻いている。
魔物が出現した事への驚きなど、たいした問題ではない。
誰もが、次の投球にのみ、注目していたのである。



その時ピッチャーが放ったのは、その日で一番のスライダーだった。



今日、魔物は、何もせずに、消えた。
明日の決勝。
奴は、また現れるだろう。

明日は、どんなドラマが待っているのだろうか。