2009年秋、フルタと経済の純情な感情

お金に飲み込まれる音がした 
僕はお金の話をするようになった
草野球と駄菓子が好きだった
300円もあれば十分だった
僕は経済に飲み込まれたんだ
僕は経済に飲み込まれたんだ


季節の移ろいに鈍感になった
星を見ても何も感じなくなった
僕は責任という言葉を覚えた
責任はお金を人質に取った
僕は経済に飲み込まれたんだ
僕は経済に飲み込まれたんだ


宝くじで3億円当たったら 
そんなもの全部くれてやる
命がお金に変わるのなら 
僕の命だってくれてやる
僕は経済に飲み込まれたくないよ
僕は経済に飲み込まれたくないよ


上の詩は、劇団フルタ丸第12回公演『ガイライ魚』のエンディング曲『経済のドリンク』の歌詞です。僕の書いた詩に、音楽家の平野さんが素晴らしいメロディを付け、平野さんの名演により音源化されている。気になる方は、どうか『ガイライ魚』のDVDを買ってくだされ。そこで聴けますんで。

話を戻すと、今からちょうど一年前にこの歌詞を書いた。
その時の僕とお金の距離感について考えていたことが、そのまま歌詞になっている。
もちろん、そのまま舞台になった。それが『ガイライ魚』だ。
先日、ふとこの曲を聞き返したことがあって僕は驚いた。
もうね、のっけから。


「お金に飲み込まれる音がした 
僕はお金の話をするようになった」


確かに、僕は1年前よりお金の話をするようになっていたからだ。
当時はあんまり仕事もしていなかった。当時と言っても1年前だ。
無職ではなかったけど、仕事量は少なかった。かと言って、仕事につながる行動も特にするわけでもなく、ただただフルタ丸のことを考えて過ごしていた。
かと言って、厄介なことに、それが暇だったわけでもない。
フルタ丸でやるべきことはたくさんあったのだ。
結果、「仕事はしていないがなんとなく忙しい」というねじれ現象が起きていた。
そんな毎日だった。
僕はお金だけに従いたくないという価値観を尊いと思ったし、そうゆう人を守れるような演劇を創りたいと思った。だから、あーゆう舞台ができた。


あれから1年が経ち、気が付けばフルタ丸以外のことを色々とやり始めている。
で、精力的にやり出せばやり出すほど、そこに付随して来てほしい「お金」が気になる。
どうなってんだいと気になる。
お金だけに従いたくない。
それは今も変わらない。変わらないけど、はっきりと言えることは、もう『経済のドリンク』みたいな歌詞は書けないし『ガイライ魚』みたいな台本も書けない。
それはまちがいない。
自分の興味の矛先が変わっている。
果たしてそれが良いのか悪いのかも分からなければ、これから僕とお金の距離感がどうなっていくのかもわからない。
『ガイライ魚2』を創る日が来るのか、それとも『MONEY IS LIFE』みたいな作品を創りたくなるのか。何にも分からない。分かりたくもない。


結局何が言いたかったかと言うと、『ガイライ魚』を見逃した人は、
『ガイライ魚』DVD、すげぇオススメですよってことです。
それかい(笑)


次回公演でも物販しますので、ぜひ。<文・フルタジュン>


★来週のキーワードは「遊園地」です。