若干

トランプ。アルファベットだと、trump。

これを英和辞書で引くと、日本語のいわゆるトランプのことを指す単語では無い、とのことである。
英単語として、「切り札」とか「奥の手」とか、そんな意味を持つ言葉なのだ。
私がそれについて知ったのは学生の頃だった。そのころはそれについてあまり知っている人もいなさそうだったし、なんかカッコいいので、ことある毎に奥の手=トランプ、という言葉を使ってやろうなどと思っていた。
が、日常生活で奥の手を出す機会などそうそうあるわけでもなく、まして、奥の手が必要になった場合というのは、往々にして尋常ならざる事態であるわけで、慣れない言葉を使おうという意識が頭の中に無いことの方が多いものである。
だから、現時点で切り札=トランプという文脈でその言葉を使ったという記憶は皆無である。なんとも残念な話である。
逆に、文脈に関係のない言葉を無理矢理使うのが、最近楽しい。
というのは、共に仕事をしている人が口癖のように「若干」という言葉を使うのである。
この、「若干」と言う言葉。とても面白い。
辞書で引いてみると、「数ははっきりしないが、あまり多くはないことを指す」とある。
この、どうにもはっきりしない感じの言葉をやたらめったらに使ってみると、なんとも不思議なニュアンスが生じるので、楽しくなってくる。
普通であれば、「若干の人がいる」などといったように使う。
3〜4人くらいの人がいる光景を差すことになるであろう。
ここで、前述の共に仕事をしている人がこの前に言っていたのが
「商品が若干、2つほど余っている」というものだ。
この用法は明らかに誤謬である。なぜならば、若干という言葉は、“はっきりしない事象”に対して用いられる言葉だからだ。だが、誤用ではあるのに、意味が通じてしまうところが面白い。
さて、トランプというテーマに対して特に何も思いつかなかったので、こんな文章になってしまったわけだが、若干強引であっただろうか。これを書いている現在は、色々なことがあった後なので、大目に見て欲しい。若干。