いつか、家族の物語を

劇団フルタ丸で家族の話をやったことは過去に一度だけある。
第10回公演『催眠術』。
家族と言っても、「吹雪家」が舞台となる3人兄弟の出てくる話だった。
フルタ丸はほぼ同年代のメンバーしかいないので、おそらく今のやり方で行けば、これ以上は望めない。いや、誰かが白髪に染めたりして「おじいさん」という役になることもできなくはない。が、それはなんだか気が進まないのだ。
リアリティにこだわっているわけではない。ドキュメンタリーにこだわっている。
劇団は、いやチームを成しているもの全てが、表現活動とは別のベクトルでそのまんまドキュメンタリーでなきゃならないと思う節がある。チームそのものをドキュメンタリーとしても楽しんでもらいたい。僕はその純度を上げたいがために客演の方という選択肢を失っている。メンバーという言わば「純血」の中で表現を突き詰めたい欲があるのだ。魅力的な客演の方を迎えたい気持ちもあるんですけどね。でも、なかなか行動に起こせないのは、そんな理由からなんです。
劇団メンバーがそのまんま60歳とか70歳になれば、みんな「おじいさん」の役ができるだろう。というか、リアルおじいさんだ。まんまだ。
その時まで、フルタ丸の「おじいさん演劇」は取っておきたいと思う気持ちもある。
これも家族の物語を作る解決にはならない。
おじいさんが5人とか出てくる芝居は、
おそらく老人ホームの話or痴呆症の話になるかもしれないので、やはり家族じゃないのだ。
年配の方がいて、子供がいて、なんかサザエさんみたいな登場人物構成の物語。
そんな物語を劇団という規模の公演で創るのは、僕にとっては結構至難だ。
このままでは家族の物語を創る機会が訪れないかもしれない。
もはや、家族の物語という札は演劇以外のジャンルで使うべく温めて置こうか。
ダラっと書いて来たが、何の解決も出なかった…。
ちなみに、僕の好きな家族物語、堂々の第1位は『北の国から』で揺るがない。

あれが好きなのは、やっぱりドキュメンタリーの側面があるからなんだ。純も蛍も成長してしまう。でも、成長したままの年齢設定で物語が紡がれてゆく。
あれがたまんないわけです。当然、映画ハリーポッターの主人公達みたいな気持ち悪い現象は起きない。
物語と同様に、そこにいる役者(人間)をずっと見守っている喜びがある。
まさにそうゆうことを劇団として、一生の仕事としてやれたら、こんなにサイコーなことはないと思う。<文・フルタジュン>


★来週のキーワードは「痴漢」です。