僕が透明人間になったら

「透明人間になったら何がしたい?」


たぶん、誰もが小学生ぐらいの時に「透明人間」という概念を知った時に夢想したことではないか。ないかい?
僕は夢想していた。
透明人間になったら、


「おっぱい」


このシンプルな4文字こそがその答えだった。

「おっぱい、揉みたい」

どうしておっぱいが揉みたかったのかを論ずることは不毛極まりないので書かないが、
よく考えてみたら、僕と透明人間の接点はその「パイ揉み願望時代」から今日に至るまでほとんどない。成人してから真剣に「僕が透明人間になったら」なんて考えたことは一度もなかった。いや、そうゆう設定のAVは見たよ。もちろん見るけども、それを見て


「ちくしょう! 俺も透明人間になりてぇ!どこに行けば、あの透明人間になれる薬が手に入るんだ! 嗚呼、透明人間になりてぇ…」


なんて黄昏たことは一切なかった。
僕の中で透明人間なんてものはもう100パーセントない話だと思っている。
今の僕は全く信じていないのだ。
夢想する時、少なからずそこに可能性を見ている。それが1パーセントでもあれば夢想はできる。でも、その1パーセントが今の僕にはない。悲しい哉、夢想さえできなくなった。


ならば、あえて考えてみようじゃないか。真剣に。
透明人間になれたら、大人になった僕らは何がしたいのか。
こんな機会でもない限り、考えることはないだろう。
皆さんも真剣に考えてみてはいかがでしょうか?
ニュースを見たり新聞を読んで視野を広げた大人がですよ、真剣に「透明人間になったら」と考える。有意義で素晴らしいことじゃありませんか?
国を良くするために、世界を良くするために、透明人間にできること。
それは無限にあるのではないでしょうか。
僕はそう思います。


いや、ちょっと立ち止まって下さい。
待って待って。
それは本当に透明人間にならなければ出来ないことですか?
胸に手を当てて考えてみて下さい。
違うんじゃないですか?
それは、きっとあなたの勇気さえあれば出来ることではないですか?
今、きっとあなたはこう思ったはずです。


内戦の続く国に乗り込んで、武装グループの武器をこっそり解除しようなんて考えたのでしょう? 頭の下がる思いです。
思いなんですが、それは別に透明人間にならなくても出来るはずのことなんです。
怪我をするかもしれませんし、命を落とすかもしれませんが。
そう考えて行くと、透明人間にならなければ出来ないことなんてないはずなんです。
人間にとって大切なのは勇気です。


「おっぱい、揉みたい」


これだってそうですよ。
透明人間になる必要はないんです。揉めばいい。ただ了承を得てないおっぱいを揉むことは法律で禁止されているので(おっぱいパブは除く)逮捕はされます。
「勇気を出しても逮捕される」と嘆くなかれ。
それは勇気の出し方が間違ってるんです。


「すみませんが、おっぱいを揉ませて頂けないでしょうか?」


本当におっぱいを揉みたい相手が現れたら、正直にそう言うこと。
おそらくそれが勇気というやつです。<文・フルタジュン>

★次回のキーワードは「涙」です。