演劇人


自分の肩書きは何だろうと考えたことがあった。
たとえそれで食えていなくても、僕は演劇をやっている古田淳であり、劇団フルタ丸のフルタジュンであると名乗ろうとなんとなく決めたのはそれほど昔のことでもない。
究極的には肩書きは何でも良い。
泥棒でも宇宙飛行士でも何でも良い気がする。
それでも、演劇人でありたいという気持ちが沸々と湧いてくるのを止めることは難しい。
演劇とは何かと聞かれた時に、僕はラジオでこう答えたことがあった。


「閉演の無い遊園地」


この言葉はこんな言葉にも言い代えられる。


「永遠に文化祭の前日」


なんとなく分かってもらえただろうか。
僕は演劇をそう思っている。おそらくそれが楽しくて辞められないでいる。
演劇的な難しいことは未だによく分からない。発声法も分からない。
演劇を始めて7年が経つが、己に「新進気鋭」と呼ばれる類の才能がないことが分かって来た。革新的で挑戦的な演劇を創ろうともさっぱり思っていない。このまま行けば、僕の演劇人としてのキャリアは、将来は、未来はどうなって行くんだろうかと真剣に考えたこともあった。しかし、僕が心に決めたのは、革新的で挑戦的であろうと思うよりも、これを届けたいと思ったお客さんに「届く演劇」を自分の持てる力を出し切って1つ1つ丁寧に創って行くということだ。その先に、ウハウハの未来とか将来が待っている確約はない。ないけど、僕はそれをするよ。それをしたいと思っている。だって、映画だって、音楽だって、小説だって、そういった全ての作品は誰かの何かを救うためにあってほしいと思うから。僕は何度も救われたし何度も守られた。低俗であるとバカにされてもいい。バカにされている内に、誰かの何かを守りたい。自分はそれがしたい。それを演劇でしたい。それを劇団でしたい。劇団というのはフルタ丸のことである。


もしも世界が終わるという日。
もうどこの劇場も空いていないかもしれない。
空いていなくても、その日、公園でもいいんだけど、誰か一人でもフルタ丸の演劇を観たいという人がいてくれるなら、僕はその人のために何か考え上演して、その上演中にそのまま世界が終わってくれれば本望だ。<文・フルタジュン>



★「800文字ワンダーランド(仮)」はこれにて最終号となります。ご愛読頂きました皆様、誠にありがとうございました。またどこかで800文字の交差点で会えましたら、その時はよろしくお願いします。良いお年を。