都会のアマゾン

観葉植物屋が好きである。
下北沢に劇団事務所を構える際も、下北沢の駅から歩いて来る道の途中に素敵な観葉植物屋があったことも部屋を決めた要因になった。
僕は毎日この観葉植物屋の前を通ることになるだろう。
それはさぞ気持ちが良いことだろう。
そんなふうに思った。
エラソーに僕なりの観葉植物屋論を述べたい。
素敵な観葉植物屋とは、そのお店そのものが一つの大きな観葉植物になってなきゃいけない。つまり、ただ植物達が並べられているだけじゃダメだ。店に並ぶ一つ一つの観葉植物たちが、絶妙な位置に配されなければならないということ。まるで野村監督が楽天のオーダーを組む時みたいに緻密に。さすれば、そこに一つのアマゾンが現出したかのような、そんな具合になる。
下北沢にあるそのお店も素敵なのだが、世田谷通りに一軒素晴らしい観葉植物屋がある。
名は「HAMACHO」。

写真だと分りづらいかもしれないが、そこは2階建てになっている。
もちろん、ガラス張りになっていて、世田谷通りから見ると2階部分にも観葉植物があることが分かる。そして、素晴らしいのは、やはりそのお店に「お店全体で1つの観葉植物であろう」という意識があることだ。店先のほとんど道路にまで、観葉植物がセリ出てしまっていることもある。とりわけ、店舗として2階部分を持っていることは大きい。それによって、3Dのような立体感を持ったアマゾンを表現することに成功している。僕はこの立体型アマゾンに心を救われている。
ギスギスしてるなーと思い真夜中の世田谷通りを走るとき、この「HAMACHO」が一瞬でも見えればウキウキした気分になれる。また夜の営業時間外の演出も素敵なわけ。上の写真はまさに営業時間外の「HAMACHO」だ。営業時間が終わっても、尚そこにあって、尚「観葉」であろうとする佇まいに僕は感動する。やはり、すべての表現が目指すべきところはそこだと思う。
活動していない時にこそ、ある人にとっての何かでありえるか。
目の前にミュージシャンがいない、曲も流れていない、その曲が入ったi-podも持っていない。そんな時でも、ある曲が頭に浮かんで来て、勝手に口ずさんでしまうような。
そんなふうに誰かの心にひょっこりと現れることができたら嬉しい。
忍者みたいに。<文・フルタジュン>



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