016.デブ

ここ数年で、急激に太りました。


理由はたくさんあります。しかもたくさんあるうちの多くが<致命的>に太る理由となっているのです。

その中でも敢えて上げるのであるとするならば
「夜中に食べるようになった」
「運動する必然性がない」
「そもそも痩せるメリットがたいしてない」
あたりでしょうか。

いちおうこれ以上太らないように心がけているつもりではありますが、いかんせん主に上記の理由を超える何かがない限り、僕はメタボったままでいることでしょう。


最近に至っては、もはや「デブであることを如何にかっこよく肯定する」かなどを考え始めました。
理論武装、というか自己弁護です。



飽食の時代なんて言葉が新鮮に感じられすらしない昨今、僕らの回りには、食べ物があふれています。でも、この環境は、生命の歴史という観点からすれば、とんでもなく異常事態なワケです。生きていく上で食糧確保の心配をせずともいいなんて環境を得たのはごく最近のことです。

その環境を作り上げるのに、過去どれだけの人が命をかけたのでしょうか。飽食のシステムは、どれだけの努力の上に成り立っているのでしょうか。食糧における生産量の向上、食品加工技術の研鑽、食品の流通網の整備、小売店舗の増大とシステム構築などなど・・・食品が僕たちの胃の中に入るまでに幾多の工程が存在し、そしてそれに関わる人は数えきれません。

そんな人たちの努力があって、僕たちはおいしい物を口にすることが出来るのです。その人たちの、時間と労力と情熱に応えるためにも、僕はおいしい物をおなかいっぱい食べたい。ありがとう、みんな。そう、僕の脂肪は、そういった偉大な人に対する感謝の結晶なのです!!


と言い張ってみるのはどうだろう。


強引なこじつけですが、実際間違ったことは言っていないと思います。
僕たちは、先人が理想とした世界で暮らしているわけです。
そのありがたみを再認識するのは大事なことじゃないでしょうか。





本当は痩せたい。