021.熱中

趣味でも仕事でも恋愛でもなんでも、だいたいの人は熱中することがあるでしょう。
「ハマる」という表現が当てはまるかもしれません。


この熱中の度合いに関して、色々と考察できるような気がします。

TVゲームを例とするならば、スーパーマリオブラザーズ、つまり「マリオ」というゲームがあるとして、このゲームに対する姿勢が、その人のはまり具合である、と見て良いと思います。
ざっくり分類するならば、


↑低い・浅い

興味なし
嫌々やる
普通にやる
好んでやる
やるのが大好き

↓高い・深い


あたりになると思います。ちなみに僕はマリオでいうならばSFCスーパーマリオワールドは「普通にやる」くらい、マリオカート64は「やるのが大好き」くらいでしたw


でも、よくよく考えていけば、「やるのが大好き」くらいでは、熱中の度合いの表現に適さない気がします。
僕はこれよりもさらに

「やらずにはいられない」
「それをやるために生きている」
「もうやめたいけど、やらないといけないのです」

など、論理的には説明しづらい熱中の仕方があると思っています。


そして、この状態になったときに、その人は「中毒」であると言えるんじゃないかと思うのです。
TVゲームではピンとこない人でも、ギャンブル・酒・恋愛・音楽などなどなど・・・いくらでも身に覚えがあるのではないでしょうか。


中毒には【消極的な熱中】とでもいいますか、なんだかネガティブな要素があると思っています。ポジティブな中毒とかおかしい話ですしねw このネガティブな感じが、どんどんダメなスパイラルを引き起こしていき、生活やらなにやらを破滅させていく感じがします。


で、僕が言いたいのは、この中毒を克服した先にある姿勢について、なのです。それはもはや熱中という次元の話ではない、「悟り」というべきかもしれません。


興味がある程度まで行くと(行きすぎると)、もはや理由が必要なくなる瞬間があるのではないでしょうか。


好きでも嫌いでもない。
やりたくもないし、やめたくもない。
理屈なんて無いけど、やる。やることになっている。
誰が決めたわけでもない、自分でもよくわからない。
ただ、やる。やるのである。


「何故山に登るのかと言えば、そこに山があるからです」


と同じくらい、理屈を超越したなにか。

それに出会えたら、おそらくその人は幸せでしょう。同時に、なんらかの深刻な不幸を抱えることでしょう。そう思います。