028.理解することの三段階

017項「三」にて述べたことに関連するのですが、
今回は僕の「理解」についての持論を述べたいと思います。


僕は、物事を理解するということを、三つの段階に分けられると思っています。

一つ目は「認識」。
これは「物事の存在を知る」というプロセスです。
二つ目は「把握」。
物事の詳細を吸収し、つかんでいくというプロセス。
そして三つ目が「掌握」。
把握した物事の知識を、自分の思うがままに利用するプロセスです。


こう書くとややこしいですね。では、具体例を用いてみましょう。


<戦国時代>について、上記のプロセスを当てはめます。

まず第一段階、認識。これはつまり、


「日本には戦国時代というものがあった」ことを知る


ということになります。
戦国時代は大半の人がその存在を認識していることでしょう。
では第二段階、把握。ここでは


「戦国時代は1467年に勃発した応仁の乱を発端とした群雄割拠の下克上の時代である」
「数多くの戦国武将が日本全土で戦った」
「最終的には徳川家康江戸幕府を開き、戦国時代はその幕を閉じた」



などといった、細かなデータを頭に入れていくこととなります。上に例示したのは非常に大雑把な知識ですがw ここでどこまで詳細な情報を頭に入れるかで、その先が大きく変わってきます。
そして第3段階の掌握。これがこの考え方のキモですが、それは言ってしまえば


「戦国時代について把握したので、その知識を活かして作品を作る」


ことができる段階です。
作品とは例えば戦国時代についての豆知識を集めた本とか、武将をアレンジしたゲームとか、ある意味、歴史の講師などもそう言えるのかもしれません。


言い換えるならば掌握するということは「知識を活かす」ことなのです。


この考え方の利点は、


物事の理解度を自らある程度客観的に判じることが出来る


点にあります。


物事を教えることが自分の理解を深めるきっかけになるのは、上記の理由によるものだと思います。人に教えるには「掌握」してないと難しいですからね。
逆説的に言えば、物事を教えることが出来るかどうかは、それをどう把握しているかにかかっている、とも言えるわけです。