044.スマートフォンについて考える その4

(↑ タイトルに4が三つ並んでるw 不吉w)


現在、2012年あたりはスマートフォンの文化がガラケーの文化を塗り替えているまさにそのときだと僕は思っています。黎明期は終わって、転換期がピークを迎えつつある瞬間だと思ってます。僕はそんな時期に、そういう考え方を持っていることは凄く大事だと僕は思います。


つまり、今このときが「スマホの文化を誰もが創造出来る」瞬間なのです。
さらに言うならば、技術の進歩により、アイデアさえあればそれを具現化することが昔に比べ容易い、言うなれば「誰にでもワンチャンがある」のです。


自分の作ったものが、後の文化を生み出す。
自分の見ているものが、文化の歴史に残っていく。
その流れに身を投じるのも粋だし、それを一歩引いた視点から見届けるのもまた一興。
そして、高みの見物を決め込んでいる“つもり”の人間の遙か上では、技術開発の闘争が日夜行われていて、予想の遙か上を行く技術が世界のどこかでポッと生まれている。
そんな状況だと思います。



この状況を楽しむのは、今このときしかないわけで、それを楽しめるのは、今このときに生きている人だけなのです。


今、この時代にはロマンがある。そういう自覚を持っていると、何だか楽しい。楽しいんですよ、この時代って。





ただし。
この流れについて行けない人は少なからずいます。というより、機種変更する前の僕もそうでした。それは、保守というよりは守旧と言うべき立場の人です。


僕は先日27歳になりました。まだまだ若造の身ですが、それでもやはり5,6年前と比べると新しい技術に対応しようという気概が失われている気がします。27歳の僕ですらこの有様ですから、もっと高齢の人が新しい文化に対応するには相当な努力と意志が必要になるでしょう。


と言うよりも、文化に対応するか否か、そこに必要なのは意志ではなく「必要」なのです。言葉遊びのようですが、必要なのは「必要とするかどうか」なのです。