048.ゲームで得るもの、失うもの その2

さて、その1で「ロールプレイ願望」について触れました。もっと言うならば「プレイヤーでありたい願望」とでもいうべきでしょうか。


僕は何も「ゲームが好きな人は誰しも役を演じたいんだ!」なんてことは言うつもりはありません。敢えて言うならば「役割を演じることで得られる快感は、ゲームの中に見いだすことも出来る」ということでしょうか。


さて、それではタイトルの得るものと失うものについて言及していきたいと思います。


等価交換の法則、とはいいませんが、何かを得ていれば大体は何かを失っているものというのが世の中の理でしょう。それが等価と言えるのかどうなのかはさておき。


得るものに関しては、“楽しさ”で良いと思います。非常にわかりやすいです。ゲームは楽しい。もうちょい正確に言うなら、楽しいゲームは楽しい。ちょっと主論からは外れるのですが、ゲームの楽しさは役割演技と別にもう一つ、「与えられた難題を与えられた条件で達成する」ある意味「依頼に応える職人」のような面もあります。これはまた別の機会に論じるとしても、ゲームをする上での試行錯誤・技術向上に伴う楽しさはゲーム特有のものでしょう。というより、「楽しさ」を普遍的に考えるのであればこれはその核ともなるべき部分かと思います。


では、それを得るために、僕らは、というか僕は何を失っているのでしょうか?


答えは人それぞれでしょう。時間とかお金とか、様々あるでしょう。ただ、僕が思ったのは「モチベーションの消費」です。


まず、ゲームを楽しむには相応の時間を消費します。これは仕方ないことです。ただ、ゲームを楽しむ対価として大きいものは「何か大事なことを成し遂げた感」=「満足感」なのではないかと、そう思うのです。
この時間と満足感を費やすことでゲームをプレイするわけですが、その時間と満足感を他の何かに費やすことで生まれるものがきっとあるはずです。


そういう見方をすれば、ゲームをすることで僕たちはクリエイティブな何かを失っているのではないか、と。最近そう思うようになってきました。

そして、この考えに至ったからこそ、さらに得るものの存在に気づくことになるわけです。続く。


<文・和田宜之>