049.ゲームで得るもの、失うもの その3

昨今のゲームは非常に面白いです。面白いだけでなく映像の美しさや人とのつながりなど、ゲームのシステムだけでは完結しない魅力があります。


ただ、それと同時に、つまりはゲームで出来ることが増えている一方で、それに割を食っている見えないものの存在も少なからずあるわけです。その最たるものは時間と言うことになるわけでしょうが。次点でお金になると思います。


最近の潮流から考えるに、ゲームを作る側として大事なことは、「作ったゲームが如何にお金を生み出すか」です。これに尽きます。ゲームそのものやその続編だけではなく、関連商品やタイアップ作品、そして課金アイテムなどなど、如何にユーザーにお金を落としてもらえるかが大事であり、その後には如何にそれをアピールして制作費やら広告費やらを投資してもらうか。ここが大事になってきます。そう言う意味で大事なのは「如何にユーザーがお金と時間をかけたくなるか」です。それに必要なのがクオリティ。つまりは「たくさんの利益を上げるためには面白い作品じゃないといけない」ってことになります。


なんだかえらく生々しい話ですが、これは大事な考え方だと割り切るのが正解だと思っています。作品が売れれば、それに関するプロジェクトがしっかりと動く。結果、その作品に関連した楽しみをユーザーが享受できる。win-winな関係ってことでいいと思います。と言うかむしろそう言う考え方でないと生き残ることが出来ません。それはつまりクオリティのみを追求して他を度外視するということは、ユーザーにいつか諦めてもらう瞬間を与えざるを得ないのです。面白いけど、財政にも時間にも無理な負担を強いるものは、早い段階で終わりを迎えるしか無いのです。


なんてえらいイヤらしい話をしましたが、閑話休題


前項の終わりに触れた、ゲームから得られる大切なものについて。


クリエイティブなエネルギーと時間を使うことで、プレイヤーはゲーム制作者が生み出したクリエイティブなものに触れることができます。やりようによってはそれを消化し、方法論や要点を自分のものとすることが出来ます。


大事なのはそれを自分に還元し、自分が表現したいもの、創造したいものに昇華させ生み出すことだと思うわけです。
そしてそこまではいかなくとも、「あれはこうだから面白かった」などといった自分の解釈を持ち、それを他の作品に投影していくことで、作品やプロジェクトのクオリティを上げる一助となることが出来るわけです。


口コミが強いこの時代、僕らの声はどんな形であれ、制作者の目に耳に必ず触れます。


なので、ゲームを楽しむその一歩先を見越したら、きっとそれよりも面白いものが生まれていく。そういうことを言いたいのです。


<文・和田宜之>