056.演劇の魅力! 見る側編その1

さて、劇団フルタ丸第18回公演「オマエの時間くれよ」の上演が間近にせまりつつある、と言ってもいいくらいの時期となりました。


役者として演劇をやっていた時分では、本番一週間前になって「来週公演やるの?冗談でしょ?」といったような感想を覚えた記憶が幾度となくあります。なんか、いつまで経っても準備し足りないんですよね、不思議なもので。


さて、今回は演劇の魅力 見る側編ということで、演劇の見方について個人的に思っていることを述べていきたいと思います。


一概に演劇と言っても様々な分け方が出来るとは思うのですが、そのくくり方の一つに「知人が出演しているか否か」があると思います。知り合いが出ているから観に行く。呼ばれたから観に行く。これは小〜中規模の演劇においての生命線とも言うべきお客さんだったりしますw


これを前提にすると、やはりまず気になる部分は「知人がどんな演技をするか?」でしょう。いつもとは違う一面を見せてくれるのか、はたまたいつも通りの一面を見せてくれるのか、どちらにしても楽しいのではないでしょうか。


ですが、ここからさらに踏み込んで、「知人がその劇団でどのようなポジションにいるのかを推量する」のも楽しみ方の一つだと思います。稽古を進めていく内に、力関係…といっては若干の語弊がありますが、そんな空気感が生まれます。


自分の演技で場の空気を引っ張っていくタイプの役者もいれば、周囲を引き立てるためにあえて自分を押し殺すタイプの役者も居るでしょう。はたまた、舞台上の役者全てが前に出たがって、鎬を削り合うかのような演技を展開させるところもありますし、脚本・舞台の雰囲気を全面に押し出すために個性を消す、損して得取れ的な(ちょっと違うかもw)劇団だってあります。


こういう役者が醸し出す雰囲気は、やはり劇場でしか味わえない、特殊かつ不思議な魅力だと思います。


そしてもう一つ。
いきなり舞台上でアドリブが出てくる瞬間があります。それはもう、明確にわかるような瞬間。それが見抜ける、というか雰囲気でわかった瞬間は、演劇の魅力の一つに触れた瞬間なのだと思います。

<文・和田宜之>

055.アウトドア!アウトドアや!

4月に入って、2回バーベキューをしている。


この事実を去年の僕が知ったら、驚いて腰を抜かすのではないかと思います。


僕はインドア派です。インドア派。なんだか知的で素敵な響きの言葉のようにも思えます。が、つまりは引きこもりということです。家の方が好きとかそういう問題ではなく、「外に出る目的がない」「家の中でも十分暇つぶしが出来る」「地の底まで引きこもってしまいたい。なんならブラジルあたりまで引きこもりたい(願望)」といった思考を持つ人間であるわけです。

こんな人間ですから、もちろん自発的なものではありません。片方はお世話になっている会社が、もう片方は劇団が行ったものです。半ば参加者、半ばお客さんくらいの心持ちで向かったワケです。


僕は幼少の時分でも現在とそう差のない引きこもりマインドを持っていたので、ちゃんとしたバーベキューの知識とかなんとかはありませんでした。ぶっちゃけやや不安です。見た目はおっさんですが、中身は小心者です。


そんな僕が短い期間で2回バーベキューに参加して感じたことを簡潔に申すのであれば

「アウトドアってすげぇな」
「アウトドアって疲れるわ」

この2つです。
相も変わらず身も蓋もない意見ですがご容赦いただきたい。


アウトドアのすごさ、それは文明社会とは対岸にあると言っても良いような自然のすごさ、とも言えると思いました。


どちらも大きな川のそばというロケーションだったのですが、月並みな言い方をすればその雄大さに驚嘆しました。と同時に、僕が引きこもっているこの部屋とは全く異質な環境がそこにはありました。


脱サラして農業を始める人の気持ちが、そこでなんとなくわかったような気もします。今まで自分が接していた世界とは、まるで別物の世界。それを開拓するロマンは動機としては十分なのだろうな、とか。


そして、もうひとつ。運動不足の身には堪える環境だな、とも思いました。そこで生活することは全く想定されていない、だらけきった肉体には、たかだか4〜5時間でも芯に来る疲労を刻んでいきましたよ、自然ってやつが。


改めて、体を絞ろうなんてことを考えました。


ちなみにどちらの回もうまいもんをたらふく食ってきたので、この考えとは矛盾しているわけですけども。


<文・和田宜之>

054.今日見た夢の話 〜ゾンビもの〜

今回は今日見た夢の話でもしましょうかね。


ざっくり言ってしまえばゾンビものでした。映画「デットライジング」とか「28日後」とか「バイオハザード」とか…バイオハザードはちょっと違うかw


もちろん夢の話なのでつじつまが合わなかったりとりとめがなかったり、そもそも一貫した筋書きなんてのもありません。そこはご容赦下さい。


大筋で言うと2部構成でした。前半は推理サスペンス、後半はパニック&スリラーといった具合でしょうか。

僕は何かの会社にいたわけですが、エレベーター移動していたところで、エレベーターが突然の衝撃とともにストップします。エレベーターの扉をこじ開けてなんとかフロアに出ると、爆発なのかなんなのか、電気が不安定になっている。あたりはモノが散乱しており、蛍光灯もチカチカしている。

とりあえず事態を把握するために会社のあるフロアに行くと、ややパニックになりつつも書類やデータを整理する会社のスタッフの姿。僕もそれに加わります。

何とか一段落し、よくよく事態を整理していくとなんやかんやでスタッフの中に裏切り者がいるという展開に。能力はあるが、決して目立ちはしない行動を取っていたあいつだ…!(実在の知人が犯人役だったりします)と気づきます。


そこで突然場面は変わり(夢なのでw)、ホテルのロビーへ。そこには上記の流れでゾンビになるウイルスでも撒かれたのでしょう、ゾンビと化した人が一般人を襲っています。これはやばいと正常な人が集まり、安全そうな場所(隠れ家的なところ)へ逃げていきます。

もしゾンビにおそわれた時は、それを倒さなければならない、例え知人であっても。そんな悲壮な覚悟があたまをよぎったところで夢は終わりました。



いや、実に生々しい夢でした。モニターやスクリーンでは味わえない臨場感がそこにありました。


あらためて文章にしてみると、これでも一連の流れが整理出来るようにしたつもりですが、実にとりとめのない話でありますw


なんでこんな夢を見たのでしょうか?その理由は誰にもわかりませんw

053.演劇の魅力! やる側編

さて、今回は主催側の演劇の魅力について述べてみます。
なぜ、演劇をやるのかという、とらえ方によっては多分に哲学的なテーマとも言えます。


──何故演劇をやるのか?
──何故ならば、そこに舞台があるからである。


とか言ってみたい気もします。嘘です。そんなこと思ったこともありません。ちゃんとした理由があります。


では、それを述べる前に演劇を主宰するデメリットについて言及しておきましょう。


演劇をやる上で苦しい面、それは“コストが途方もない”ところです。コストとは費やすもの。お金はもちろんですが、それ以外にも非常に多くのものをつぎ込みます。時間であったり、体力であったり、アイデアであったり…集約するとお金と時間になるわけですが、これが非常に厳しい。それでいて公演のチケット代で得られる収入には限界があります。ぶっちゃけ、黒字で毎公演を回すのは至難の業です。

また、演劇をすることによって人間関係に悪影響をきたすこともしばしばあります。もちろん同じ舞台に立つことでよく知らない人と仲良くなることはあります。というか、こちらの方が圧倒的に多いです。客演(ゲスト出演)の方であったり、スタッフさんであったり、観に来てくれるお客さんであったり。そういった人と仲良くなる機会はいくらでもあります。
ですが、演劇を完成させる課程では感性であったり人となりといった<偽らざるもの>が必ず必要となります。そこではそれ同士が対立することもしばしばあります。結果として、大げんかをしたなんて話はどの劇団も一つや二つでない数持っていると思います。


演劇をやっている人ってのは、お金や時間や人間関係を失ってでも、演劇をするのです。


端から見れば馬鹿な話です。実際、そういう非効率というか、非常に不毛な行為を嫌う人も多くいらっしゃると思います。

それでも、それらを補って余りある“演劇の魅力”があります。
それは何か?


ずばり、「演劇をやるのは面白い」。
それが全てです。


8年演劇に関わってきた僕ですが、断言します。
演劇は見るよりやる方が面白い。
始めてすぐに気づいたことですが、その感覚は今でも間違っていないと思います。


やる側のどこが楽しいのか、何をしているときに楽しいのかについては、書きません。やってみて実感しないとわからないものがここにあるのです。


今日も劇場では、観劇を楽しんだお客さん以上に楽しんでいる劇団員がいるわけです。
うらやましい。
そう思ってしまうから、次の公演を打つ。

演劇をやっている人は、大体そんなことを考えているはず。



<文・和田宜之>

052.演劇の魅力! 大枠編

さて、僕が制作を担当している(と言い張っている)劇団フルタ丸の第18回公演が近づいて参りました。


僕は今年で演劇に携わるようになって8年目です。ちょうど8年前の大学のキャンパスで、足を踏みはず……じゃなかった、足を踏み入れたわけですね。まあ実際8年前のことなんて断片的にしか覚えていないワケですが。


これを期に、僕が思う演劇の魅力について不定期に述べていこうかと思います。題して「演劇の魅力!」そのまんまですね。


まずは大枠編といたしまして、「演劇の魅力って一言で言えば何?」というざっくりとした質問に対し、これまたざっくりと答えてみたいと思います。

それは、
「人それぞれっすね!」
です。


ふざけてるわけではないのですが、この字面はどう見てもふざけてますね。


何故こうなるのかというと、演劇には観点というか様々な面があり、どこに立つか、どこを見るか、どう関わるかでその魅力が変わってきます。


演劇、こと小劇場で行われる演劇の魅力に、その「面」の多さがあるように思います。僕が8年たずさわっているからかもしれませんが、本当に色々な面があります。だから、演劇は見た人によって千差万別の魅力があるわけです。


ただ、強いてわかりやすい、キャッチーな言葉で演劇特有の魅力を伝えるのであれば、それは「臨場感」に他ならないでしょう。演劇はやっぱり劇場で見てナンボのものです。カメラではなく肉眼でないとその舞台の全てを見ることが出来ません。さらには照明や音響、役者の息づかいなど、観客席にいないと味わえないものが劇場に詰まっているわけです。


そして僕が個人的に思う演劇の魅力として……いや、大枠編ということで今回はこれくらいにしておきます。個人的なものは大枠とは言いづらいですものね!気になる人はこのブログを定期的にチェックしたらいいんじゃないでしょうか!!


てなわけで今回のまとめとしては、「演劇の魅力を一言で言えば“人それぞれ”になるので、演劇の魅力がわからない方は劇場で感じてみたらいいじゃない。そして自分なりの魅力を見つけて下さい」です。


<文・和田宜之>

051.脱出ゲームで知る、納得の納得感

脱出ゲーム、というジャンルのゲームがあります。


プレイヤーが何故か謎の部屋に閉じ込められて、その部屋にあるものやひらめきでパズルを解いていき、謎の部屋から脱出することでゲームクリア、というゲームです。crimson roomというゲームが流行初めだと記憶しています。気になった人は「脱出ゲーム」「crimson room」あたりで検索してください。今時のパソコンならば問題なくインターネット上で、無料で遊べるはずです。


この脱出ゲームのキモは謎解きとひらめきです。定番なのは4桁の数字でロックがかかっている金庫があり、数字のヒントが書いてあるメモが机の引き出しなどに入っている。だから金庫を開けるにはまず机の引き出しを調べてメモを手に入れる。次にメモに書いてあるヒントから数字を割り出す。そして数字を入力して金庫を開けると、次の謎解きのヒントが出てくる。。。といったような感じです。

謎解きには“カタルシス”があります。(この場合のカタルシスはいわゆる誤用としてのカタルシスです。つまりは浄罪感ではなく、抑圧からの解放感、という意味でのそれです。)
僕らが覚える快感の中の一つに、謎が解決した時に感じる快感が確かにあると思います。敢えて言うならばそれはカタルシスではなく「納得感」で良いんじゃないかと思います。謎解きはゲームだけでなく小説やドラマなどのシナリオにも存在します。犯人は誰かとか、トリックはどうだとか。「あ〜なるほどね〜 スッキリした」という感想がストレートに出てくるような心境。それが納得感です。


納得感で特筆すべきだと思われるのは、ひらめきがその快感を大きく左右する点です。つまりは、自分の力で全て気づいた時に、もっともその快感は大きくなる。逆に与えられたヒントによって解決した時は、それが小さくなっていくという点です。ある意味で自力が非常に大事なわけですね。


僕はこの納得感が結構好きなのですが、個人的には演劇の脚本の大半にはこの要素が含まれていると思います。この台詞や動き・舞台造形や状況から類推される物語の真相などを自力で解き明かす楽しさは、なかなか他の媒体では味わうことはできません。この納得感を味わいに、劇場に足を運んでみるのもいいと思います。


<文・和田宜之>

050.2012年 3月まとめ

さて、月末、実際は月初めなので3月のまとめをいたしたいと思います。

月並みですが、もう3月も終わり、4月が始まるわけです。つまりは2012年はもう1/4が終わってしまったとも言えるわけです。きっと来月の締めは2012年は1/3が終わったとか書くんでしょうねぇ。


歳を取ったら1年が短く感じるようになるなんて言いますが、それは真実だと思っています。僕はまだ27歳ですが(←ここ大事)、それでもやはり10代の頃とは時間の濃度が違う気がします。
これはこれで1本エッセイが書けるのでまたの機会に述べるとして・・・


3月は個人的には誕生日がある月でした。そして今年の誕生日は「高熱を出して一日中寝込む」という、非常に締まらない体たらくでした。まぁべつに元気だったところでイベントなんてものはなかった(ry


世間ではやはり震災から1年経ったと言うことで、昨年のことを思い出す月でもありました。僕たちにとっては9月1日ではなく3月11日が防災の日なのかもしれません、などと思ったりもします。
あとは、今年は寒い春である、というのが印象深かったのではないかと。未だに千葉や東京では桜の開花の気配が薄く、なんだか春っぽさを体感できていないのが寂しいところ。家の前には結構いい感じの桜並木があるわけですが、未だにつぼみもふくらみかけと言った程度で寂しい限りです。
でも開けて昨日、春一番のような風も吹いたということで、ゆるゆると春が訪れようとしているのだと解釈することにします。
やはり月並みですが、桜が好きなんです。満開が楽しみだ。


さて、ここで触れるべきなのはこのブログの更新ペースでしょう。
1年に300本と言い張っておきながら、これで50本目。ペースとしては1ヶ月分足りていません。やばいです。借金生活です。なんとかこの辺で取り返していきたいと思っています。


あとは、劇団フルタ丸が5月公演に向けて動き出しました。それに関連してこのブログでも色々出来たら良いな、などともぼんやり考えています。
あとは、今月からフェイスブックを本格的に活用することに決めました。いいですよフェイスブック。色々出来て、しかも未だ進化の途上。知恵の使いようで化けられる臭いがする。その辺に関しても後々触れていくことでしょう。


やや告知臭くはなりましたが、以上で3月終わり。


怒濤の4月へと向かいます。向かいましょう。


<文・和田宜之>